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漫画 出版されたイラスト&挿し絵

1966
1966年11月21日、フランス・ルーアン生まれ。幼少期をノルマンディのチュイ-シニョールで過ごす
1985
1985年、バカロレアに合格し、最初の1年間はルーアン大学で現代文学を試みるが、方向性が違うことに気づき、その後、ソルボンヌのパリ大学の造形芸術学部へ。
1988
1988年、造形芸術学部の免許を取得。
1989
1989年、第3ボルドー大学へ編入し、とりわけマンガのナレーションを研究課題にするとともに、造形芸術のMA修士号を取得。そのために、『回想の図書館』を執筆し、1990年2月にボルドーのグレナ書店にてその原画が展示される。
1990
1990年、マンガによる物語的システムを仕事として実現させるため、芸術とコミュニケーションのDEA(専門研究課程修了証書)を取得。さらに、最初の1年間は第一パリ大学で造形美術の博士課程に入り、text/imageの適合問題における研究を始める。そして国から要請されて…
1991
1991年6月、フランス外務省に任命され、フランス政府機関での就任のため日本(福岡)へ旅立つ。
1992
1992年、魅力的な女性 真美さんと結婚、日本に(永久に?)住むことを決意。
1993

1993年、彼が愛する 真ージュリアンのパパになる。

1993年から95年まで、地元雑誌のイラストレーターとして最初の仕事を開始。

1995

1995年、フランス語教室の学校「レコル」の創設に参加し、今日まで教えている。

1995年から97年まで、どうにかこうにかイラストレーションの世界にポジションをおいて、数々の作品をコラボで創出。とくにラジオ局「LOVEFM」やヘアサロン「CUIR」に加えて、「JR九州」のイラストでは97年に福岡広告祭で金賞を受賞した

1998
1998年、福岡市美術館にて、日本での最初の個展"Face a face"(アマチュア用の会場だったけどね!)を行なう。その個展の中の1つの作品 "L'epilogue"(エピローグ)は、13枚綴りのマンガによる物語で、日本語を使用した初作品だった。
1999
1999年、「ギャラリー新大陸」にて福岡在住の外国人によるグループ展"7 senses"に参加。この年、ジャンークリスチアン・ブーヴィエ氏がフランスの"CM Festival"を日本で始めるとともに、プログラムのイラスト及び構成を担当するようになる。
2000
2000年、西日本新聞(発行部数80万部)の依頼により、社会的問題を捉えた記事で使用する2シリーズの挿し絵を担当 「ストレス病棟日記」、「男たちよ」。毎週6ヶ月にわたって掲載された。
2001
2001年、福岡IMS「イリス」ギャラリーにて個展"デカラージュ"を開催。微妙なずれを描いた最新作を"デカラージュ"の作品として発表した。 
息子 しんージュリアンが大きくなるにつれて、親というものは歳をとっていくもの。だけど気持ちはあの頃と変わらないみたい…ね。
2002
2002年、東京の角川書店が発刊する「東京ウォーカー」(4~5月発行号)にイラストが使用される。また、月刊雑誌「フクオカ・ナウ」とのコラボを開始。九州ヘッドラインニュースの挿し絵を担当する。

そして、ついに「アトリエ・デカレ」を創るアイディアが生まれ、そこから世界に向けて発信する年にな ... る。

2003

2003年3月、「アトリエ・デカレ」のホームページを開設。サイトのプロモーションに力を注ぎ、少しづつ進展する。あらゆる方面から注文を受けるようになり、子供向け英会話スクール「ステッピング・ストーンズ」(福岡)
にイラストを依頼され、スクールのCD、Tシャツ、教材なども手がけるようになる。
Jipango社がガイドブックを出版するにあたって、イラストで紹介する絶好の機会があり、“Cent regards inedits sur le Japon”(日本について知られていない100の視点)2004年よりパリで出版される。この年はまた、雑誌『FRANCE JAPON ECO』(東京で出版)とのコラボレートで
仕事を始めた年でもあった

2004

4月、福岡のフランス料理店「ヌーベル文雅」から店内装飾のための18点の作品の依頼を受ける。作品は3月21日のオープニングを飾り、今も店内に常設されている。
さらに、雑誌『FRANCE JAPON ECO』(9899号)で、年金生活等についての社会的なイラストシリーズを手がける。

春、ユーモアの相違もあり、フクオカ・ナウとのコラボレーションを終了。
秋、九州日仏学館にて、漫画家のダビッド・プリュードム氏が来日。カステルマン出版社から2005年に出版される予定の"Huit auteurs au Japon" のプロジェクトにあたって、彼の受け入れや作品展のオーガナイズ、フランス漫画についての講演の監督にあたる。

年末には、季刊誌・国際広場にロングインタビューと写真が掲載され、表紙のイラストを飾った。

2005

この年は、とくにカステルマン出版社で漫画のアダプテーターとしての仕事を始めた年である。谷口ジローの『夢のつづき』、福山庸治の『うろしま物語』が、2006年に作家のコレクションから出版された。

4月、(財)北九州国際交流協会の2枚のポスターを製作し、7月13日に講演会を行う。

www.atelierdecale.comが1万人のアクセスを突破。7月27日より「月曜日のブログ」を始める。
10月1日〜8日まで、九州日仏学館で個展「Vagabondages」を開催し、新作を発表(荒戸友泉亭)。
また、2005年は、ジャーナリスト(!)としてもデビューの年となった。山口県で行われたル・マン・クラシックのレポートを『FRANCE JAPON ECO』に依頼され、105号(2005年冬)に掲載される。

12月、第三書房のフランス語教本『Petit a petit』掲載用に25点のイラストを手がけた。

この間にも、私たち両親はわからないように若返りを頑張っている反面、息子しんはすくすくと美少年になっていっている。この頑張りもいつまで続くだろうか?

2005

2006年の大半をカスターマン社のアダプテーションに費やす。

4月には福山庸治の『うろしま物語』、9月には谷口ジローの『晴れゆく空』という2冊の本が出版される。

10月、谷口ジローの新たな漫画のアダプテーションを始める。2007年、『捜索者』というタイトルで出版される。

2006年はカスターマン社の仕事に終始した年だった。

イラストレーターの仕事と平行して、美容院PURE WAVEのカレンダーを制作。東京で刊行される環境雑誌SOTOKOTO(ソトコト)と2006年4月第82号にてコラボレーションする。

その頃、しんくんが中学校に入学する。

年末にはちょっと特別なことが起こる。11月に福岡のイニミニマニモのクリスマス広告に出演したのだ。宣伝の映画にも出演し、地元福岡のテレビで12月2日から25日まで流れていた。こうして、花形モデルとしてのキャリアの第一歩を踏みだす。(どうやら一回だけみたいだけど…。)

2005

1月、雑誌SOTOKOTO(2007年2月、第92号)とのコラボレーションを行う。

3月、谷口ジロー作、『捜索者』がカスターマン社にて出版される。
その頃、新しいシリーズの制作を開始する。もともとのコンセプトは『カモフラージュ』というもの。

4月、佐賀ユーモア協会での講演会に参加し、フランスの漫画についての講演を行う。また、10月には、福岡日米協会にてフランスにおける漫画についての講演を行う。

9月、福岡市主催の俳人吉岡禅寺洞の展覧会の宣伝広告を手がける。

10月から12月には、2008年に出版される英会話学校AEONのテキスト『Take Off』と『Gear Up』のイラストを担当する。

10月6日、7日は、『大発作』の日本語版出版記念で九州日仏学館に招かれたダヴィッド・Bの来福時のアシスタントという大役に恵まれる。

12月、カスターマン社の新たなアダプテーションに取りかかる。2008年に出版される谷口ジロー作『散歩もの』である。